México, un descanso por recordar
2013-03-15T02:07:24+09:00
latraviatajapan
Hola! Les damos la bienvenida a todos ustedes a nuestra blog. Vamos a escribir sobre la nuestra vida y experiencias. みなさん、私たちのブログへようこそ。私たちの日常生活などを書いていきます。aki&lalo
Excite Blog
ブログ休止のお知らせ
http://latraviata.exblog.jp/19663965/
2013-03-15T02:07:20+09:00
2013-03-15T02:07:24+09:00
2013-03-15T02:07:24+09:00
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未分類
1ヶ月ほどしたら、このページを閉鎖します。長い間、沢山の方に訪問して頂きまして、ありがとうございました。]]>
日本への帰省 2011-その3
http://latraviata.exblog.jp/17688585/
2012-03-19T16:10:46+09:00
2012-03-19T16:12:06+09:00
2012-03-19T16:12:06+09:00
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日本への帰省
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伯母の訃報。。。
http://latraviata.exblog.jp/17630927/
2012-03-09T07:14:38+09:00
2012-03-09T07:15:55+09:00
2012-03-09T07:15:55+09:00
latraviatajapan
日本への帰省
11月末に長崎へお見舞いへ行った伯母は、大変残念ながら、ついに帰らぬ人となってしまいました。私たちが名古屋へ戻った後、伯母はすぐに入院することになったのですが、結局、その後一度も家へ戻ることがないまま、息絶えてしまいました。亡くなったのは、2月始めのことでしたから、久しぶりの再会を遂げた2ヶ月後にすでに亡き人となってしまったわけです。本来であれば、今年3月あるいは4月の日本帰国を予定していましたから、当初の予定どおりに帰っていえば、再会を果たすことはできませんでした。今回の日本帰国は、強烈な円高も向かい風となって、資金面でも有給取得の面でもとても厳しいものでしたが、無理して日本へ帰っておいて本当に良かったと思います。。。。
また、伯母の訃報の知らせを受けた直後に、92歳の祖母(父の母)が脳溢血で倒れたという連絡を受けました。今回の長崎訪問で、祖母にも10年ぶりに会うことができましたので、なんとか快方に向かってほしいです。。。。
悪い知らせというのは時に続くもので、祖母の知らせを受けたその後には、糖尿病を患う義理の母(ラロの母)の体調が急激に悪化し、結局足の指を切断しなければならない状況になったという連絡を受けました。手術を受け、今は義理の姉の家で療養していますが、完治にはまだしばらく時間がかかりそうです。。。早く良くなってほしいと思います。
私たちを育て、愛しんでくれた方々が、病に伏したり、亡くなってしまう時期にきています。。。ありがたいことに、私の両親はまだ健在ですが、父と母に会える期間でさえも限定されているのだということを常に忘れずに、できる限り頻繁に日本へ会いに帰るようにしたいなと思います。]]>
日本への帰省 2011-その2
http://latraviata.exblog.jp/17318152/
2012-01-15T15:56:55+09:00
2012-01-15T15:58:06+09:00
2012-01-15T15:58:06+09:00
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日本への帰省
長崎での滞在中、従兄弟がクルマを出して、平戸観光につれていってくれました。親戚が住む家は、佐世保市とは言っても、どちらかと言えば平戸市にかなり近いので、親戚の家へ行くと平戸には必ず出かけています。平戸はここ数年で観光地としての整備がかなり進み、昔よりもかなり洗練された街に変貌を遂げつつあります。結果として観光客も増えているようで、私たちが出かけたときも観光客でにぎわっていました。また私たちが出かけたときには、復元された「オランダ商館」がちょうど開館されたばかりで、この新しい観光スポットを見ることもできました。
瑞雲寺や光明寺のある坂道は「寺院と教会の見える道」と名づけられていて、丘の上に「ザビエル記念聖堂」の教会が見えてそぞろ歩きをするには最適の場所!私が平戸で一番気にっている場所であり、平戸のもっとも有名な観光スポットの1つでもあります。ラロもこの場所がいたく気にいったようで、何度も写真を撮っていました。
さらには、平戸市の平戸島と生月島をつなぐ生月大橋を渡って、生月島にも上陸しました。以前までは、生月島へ行くためにはフェリーに乗るしかなかったので、遠い離れ島というイメージしかありませんでしたが、このトラス橋ができたおかげで、生月島がとても身近な存在になりました。
ラロにとっては初の九州上陸でしたから、長崎まで足を伸ばしたいなと考えていたのですが、円高の影響で私たちの懐はかなり寂しく(涙)、今回は断念せざるを得ませんでした。九州新幹線も全線開業して、鹿児島などもとても近くなりましたから、次回長崎を訪れたときには、是非九州を旅行してみたいなと思います。
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日本への帰省 2011-その1
http://latraviata.exblog.jp/17235138/
2011-12-23T11:18:00+09:00
2011-12-23T11:21:32+09:00
2011-12-23T11:19:59+09:00
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日本への帰省
さて、今回の日本行きの最大の目的は、末期癌を患う叔母(母の姉)を見舞うことにありました。私の両親は2人とも長崎県佐世保市の出身で、長女である叔母は佐世保にある生家にいまだ住んでいます。叔母に最後に会ったのは、祖父(母あるいは叔母の父)のお葬式で、かれこれ10年以上も前のこと。私は東京にある学校を出てから、そのまま東京で働いていましたから、盆や年末年始の休暇には、名古屋の実家に帰ることはあっても、長崎まで足を伸ばすことはありませんでした。月日が経ち、私は6年前にメキシコに来てしまいましたので、長崎までの距離はそれまで以上に遠いものになりました。
ところが約1年前に母を通じて、叔母が癌に侵されていることを知りました。叔母は、10月頃まで抗がん剤治療を受けていましたが、治療が過酷であるために体がそれに耐え切らず、その治療は打ち切ることになりました。抗がん剤治療をとめれば、癌の進行を止めるものはもう何もないわけで、その時点で残り3ヶ月という医師の判断が下ったのです。。。そういうわけで、中学に入るまでは、夏休みになるとほぼ毎年佐世保に出かけて、長い間滞在させてもらっていましたから、沢山面倒をみてくれた叔母にどうしてももう一目会っておきたいと思ったのです。
10年ぶりに会った叔母は、細くて細くて、それが私の心を強く痛めましたが、私が会いに行ったことを心から喜んでくれました。そんな叔母をみて、やっぱり無理をして会いに行ってよかったと本当に心から思いました。
これが一生の別れにならないことを祈って、最後は「またね」と言って、別れてきました。人間の体はときに尋常では考えられないようなパワーを出すものですから、生きたいという叔母の強い意志が叔母自身を救ってくれるといいなと願っています。。。
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現在、日本に帰国しています
http://latraviata.exblog.jp/17113280/
2011-11-19T22:57:49+09:00
2011-11-19T22:58:53+09:00
2011-11-19T22:58:53+09:00
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日本への帰省
今、日本に帰省しています。すっかりブログの更新を怠ってしまっていたので、日本帰省中にできる限り更新しようと思います。
9月末から11月始めにかけてあまりにも多忙だったため、文字通り、仕事以外は本当になにもできませんでした。それもこれも、自営の仕事が忙しかったことに加えて、11月10日から日本帰国する予定をたてていたため。当初は、来年春頃の帰省を予定していたので、それを半年繰り上げるのは、資金面でも、ラロの仕事面でも本当に大変でした。ただ、今回はどうしてもこのタイミングで帰省しなければならない事情が発生してしまったので、やむをえません。。。この理由は、また別途書こうと思いますが、とりあえず久しぶりの日本帰国から1週間が経過しました。日が暮れるのが早いせいか、1日の経過がとてもゆっくりで、なんだか得したような気になっています。
この1週間は、メキシコで終わらせることができず、日本に持ち込んだラロの仕事をなんとか終わらせ、さらには今回の帰国のメインイベントの1つである、悠加の七五三を済ませました。七五三の写真は、12月中旬にならないとできないということなので、またその頃に出来上がった写真をここでも載せようと思います。
ちなみに、今回の日本帰国では、大きなイベントを3つ予定していて、そのうちの1つが満3才を迎えた悠加の七五三でした。そして、もう1つのメインイベントは、悠加を日本の幼稚園に通わせること。これは、3歳のタイミングでどうしても実行したかったことの1つで、今週の月曜日(11月14日)から通い始めています。実際に通うことができるのは2週間ほどですが、実りの多い時間になってくれるといいなと思っています。
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セイコさんのBABYSHOWER
http://latraviata.exblog.jp/16858545/
2011-09-16T06:44:48+09:00
2011-09-16T06:45:44+09:00
2011-09-16T06:45:44+09:00
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メキシコでの生活
お友達セイコさんの出産予定日がほぼ1ヶ月後にせまってきたので、9月11日日曜日、お友達に声をかけて朝食ビュッフェを兼ねたBABYSHOWERを開きました。子宮口がもう1cm開いているということで、10月始めの出産予定日を待たずに出産となるのかもしれません。新しい命が生まれるときは、他人の私までわくわくしてきます。健康で元気な赤ちゃんが生まれてくるのを待つばかりです。
ちなみに、今回のBabyshowerを開いたのは、モンテレイ中心部にあるHotel Crowne Plaza。5つ星のホテルなので、普段の朝食ビュッフェもはやり高めなのですが、現在はなんと50%OFFのキャンペーン中!お食事が本当においしいので、キャンペーン期間中にラロとハルカと一緒に再度行きたいなと思います。モンテレイに在住の方は是非~。
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えりなちゃんのブライダルシャワー
http://latraviata.exblog.jp/16587541/
2011-07-12T05:58:01+09:00
2011-07-12T05:58:48+09:00
2011-07-12T05:58:48+09:00
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未分類
大半の招待者がメキシコ人だった今回のブライダルシャワー。予想していたとおり、招待客の到着が遅いこと、遅いこと。開始時間から30分ぐらいで大半が集まるかしら~、なんて甘い予想をたてていたら、招待客がおおかた集まったのは、開始からほぼ1時間後のこと。そこから1時間ゲームをして、1時間を食事の時間に充てたら、予定の3時間はあっという間にオーバー。次の予約客がいなかったということで、急き立てられることもなくゆっくりと時間を満喫することができたのが、本当に幸いでした。
招待客のお友達からも、とても楽しかったというコメントを頂いたので、オーガナイザーとしては本当に一安心。えりなちゃんの思い出に残る1日になったといいなと心から思います。
えりなちゃんとルイスの結婚式まであと1ヶ月。今から結婚式がとっても楽しみです。
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FIFA U-17 ワールドカップ メキシコ2011
http://latraviata.exblog.jp/16489619/
2011-06-19T12:37:00+09:00
2011-06-21T06:17:06+09:00
2011-06-19T12:38:21+09:00
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メキシコでの生活
先週土曜日の6月18日、私たちの住むまちモンテレイで、FIFA U-17のワールドカップ、予選リーグ第1戦「日本対ジャマイカ戦」が開催されました。この偶然の幸運に私たちは大盛り上がり!もちろん、観戦することを即決。今回は、お友達がとてもよい席をまとめて購入してくれることになったため、本当に良い席でこの試合を観戦することができました。前半は0-0のまま終わりましたが、後半になって日本が1点ゴール。本当にキレイな形でゴールを決めて、客席にいた私たちは一気に大盛り上がり!そのまま日本が1点を守って、試合終了となりました。
次の試合は、明日の対フランス戦。この試合も、前回と同様、モンテレイで開催されます。仕事があるので、もちろん観戦はできませんが、どうにかして勝利を勝ち取ってもらいたいなと強く思います。今回のU-17の試合は、メキシコ各地で行われていて、決勝戦はメキシコシティで行われる予定なのですが、準々決勝はなんとモンテレイでの開催。色々な偶然が重ならなければ日本がこの日に試合することにはならないのですが、もしも日本が試合するようなことになったら、是非応援に行きたいです。
がんばれニッポン! ]]>
Gambare Nippon! がんばれ日本祭り
http://latraviata.exblog.jp/16363083/
2011-05-24T14:52:00+09:00
2011-05-24T23:03:27+09:00
2011-05-22T14:53:26+09:00
latraviatajapan
メキシコでの生活
先日もお知らせしましたが、先週の土曜日(5月21日)に日本支援のチャリティイベントが開催されました。色々な日本人の方が、色々な催しを企画して、義捐金集めに努力なさっていました。私たち、モンテレイ子ども会では、浴衣&甚平の着付け&写真撮影と、習字による名前書き、そして子供たちによる募金活動で義捐金を募りました。私たちは午前中に用事があったため午後3時頃からこのイベントに参加したのですが、朝からかなりの人が来場していたようです。私は、着付けを少しお手伝いしたあと、習字による名前書きのお手伝いをさせていただきました。最終的に、私たちモンテレイ子ども会では約4,700ペソ(たしか?)の義捐金を集めることができ、そのお金は日墨協会を通じて、在メキシコ日本大使館に送られることになりました。イベントが成功裏に終わり、本当によかったです。
個人的に、あともう1つ募金活動を計画・準備しているところで、本来であれば来週から1週間実施する予定だったのですが、今回のイベントで色々と学ぶことがあったので、その経験を生かし、少し活動内容を修正することにしました。来月はじめまでには活動を開始してさらに募金を集め、微々たるお金であっても(←今は円高ペソ安なので、なおさら~)、日本の被災者の方のお役に立てるようがんばろうと思います。ま、どれだけお金が集まるか分かりませんが、また結果はここで報告しようと思います。。。
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悠加-2歳5ヶ月 Haruka - 2 años 5 meses - No.2
http://latraviata.exblog.jp/16363109/
2011-05-22T14:59:57+09:00
2011-05-22T15:00:37+09:00
2011-05-22T15:00:37+09:00
latraviatajapan
悠加の成長記録
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日本頑張れ祭り@ヌエボレオン州サンペドロ・ガルサ・ガルシア市
http://latraviata.exblog.jp/16316821/
2011-05-12T06:55:10+09:00
2011-05-12T06:55:49+09:00
2011-05-12T06:55:49+09:00
latraviatajapan
メキシコでの生活
私たち家族も、メキシコ人&日本人のハーフの子供たちで作っている「モンテレイ子ども会」の一員として、チャリティに参加します。個人的には、現在、募金活動を1つ計画・準備中で、このイベントと同じく5月中旬の実施予定で準備をすすめていますが、今までのところは日本大使館経由で募金をしただけ。。。今回のイベントを通じて、震災で大変な被害に遭われた方のお手伝いがすこしでもできればいいなと願っています。
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ラボ・パーティと私
http://latraviata.exblog.jp/16316076/
2011-05-11T23:45:00+09:00
2011-05-12T06:27:28+09:00
2011-05-11T23:46:34+09:00
latraviatajapan
育児と日本語教育
我が家の日本語教育の話しについて、ここで継続的に記録を残しておきたいなと思いつつ、時間ばかりがどんどんと過ぎさっています。。。このブログを読んでくださる方に対しては、書くと言っておきながらちっとも書きやしない、すでにオオカミ少年の状態になっています。。。。ごめんなさい。言い訳がましく付け加えれば、この日本語教育のことについては、時間の合間をみつけて、少しずつまとめてはいるのですが、まだ他の方に読んで頂けるようなまともな文章にはなっていないので、もう少し時間をかけて整理・推敲します。。。
さて今日は、家庭での日本語教育あるいは語学教育そのもののあり方を考えるうえで、私自身の考え方の拠り所になっている「ラボ・パーティ」について書こうと思います。というのも、最近、日本に住む子供を持つお友達から、私が子供の頃に通っていた「ラボ・パーティ」について本当によく聞かれるのです。実は昨日も、そんなメールを1通受け取ったばかり。子供の習い事の1つとしてラボ・パーティを考えているのだけれど、ラボ経験者としてどう思うかというのがお友達からの質問の趣旨です。
それでは、そもそも「ラボ・パーティ」とは何ぞやという話しなるわけですが、これは外務省所管の財団法人・ラボ国際交流センターが主催する英会話教室のことなのです。でも、机の前に座り、先生とテキストを前にして勉強するような、普通の英会話教室ではありません。ラボ・パーティの柱は「テーマ活動」と呼ばれる英語劇。専用のラボ機と日本語と英語で作られたラボテープ(と当時は呼んでいましたが、今はCDになっているそうです)を耳で聞いて、耳で聞いたままの英語を記憶して口にし、人体表現で劇をするのです。ここでは一切、英語でかかれたシナリオ(台本)を読むという行為は入りません。耳で聴いたままに、自分が感じたままに英語を口にして、すべてを体で表現して、パーティのメンバーみんなで1つの劇を完成させるのです。
「テーマ活動」とあわせて、ラボ・パーティを特徴づけるもう1つの活動の柱は、「交流活動」。普段のパーティ活動における交流はもちろんのこと、そのほかにも2つのプログラムが準備されています。その1つはラボっ子同士の交流で、長野県黒姫山にある「ラボランド」と呼ばれるロッジ形式の村で、夏と冬に参加希望者を集めたワークショップが開かれます。全国津々浦々から、下は小学生、上は高校生までのラボっ子が集まって、数日間色々な活動をしながらともに時間を共有します。これが本当に楽しくて、私も数回参加しました。ちなみに、ラボランドのHPをみると、1998年に全面改装されたうえに、一般開放も開始されたようですから、私の記憶にある姿とはまったく違うものになっているのでしょう。。。さてさて、もう1つの交流は、国際交流。これも希望者が対象ですが、中学1年生あるいは中学2年生の時点で1ヶ月間、アメリカの家庭にホームスティへ行くのです(その後、対象国が広がって、今はオーストラリアや中国、韓国もその対象になっているようです)。私自身は中学2年生のときに、アメリカのケンタッキー州へホームスティに行きました。海外に興味を持ち始めたのは、まさにこのホームスティがきっかけでした。
ちなみに、ラボ・パーティは、チューターと呼ばれる先生が主催しますが、活動の大きな柱となるのは、相対的に年齢層の高い子供たち。規模の大きなパーティであれば、中学生や高校生がいますので、彼らが主導となって、小さな子供たちを引っ張っていきます。私が所属していたのは立ち上がったばかりの小規模なパーティで、小学生である私たちが一番上でしたから、私たちがもっともっと小さい子供たちを引っ張っていくような形でした。私は一人っ子ですから、他のラボっ子たちとの密接な係わり合いが、その後の人間関係を学ぶ上でとても勉強になったと思います。
ラボ・パーティの活動そのものは、私が生まれる8年前の1966年に始まったようですが、私自身は小学校1年生からパーティに参加し始めました。その後中学2年生の終わり頃になり、通っていたパーティが先生の都合で閉じられることになりました。その頃には、もう高校受験が目前に迫っていたので、他のパーティに転籍することはせず、そのまま退会することになりました。自分の人生に大きな影響を与えたものはいくつかありますが、ラボ・パーティでの7年間の経験はそのうちの1つ。あの7年間がなければ、今のような人生は間違いなく歩んでいなかったでしょう。。。
さて、ラボ・パーティの何が良かったのかといえば、とにかく楽しかったこと!この一言に尽きます。小学生、中学生のときの私は「ラボ・パーティ」のトリコ(という言葉がまさにピッタリ!)でした。特に演劇にもお芝居にも興味はありませんでしたから、「劇をしていたから楽しい」というわけではなかったと思うのです。子供なりに、時間を沢山かけて討論しあって、何度も何度も練習を重ねて、劇の完成・発表という形で成果を得る。この達成感と爽快感がたまらなく好きでした。そして、テープが擦り切れるほど繰り返しテープを聴き、耳で英語を覚え、なんとなくテープと同じような英語を言えるようになったときのうれしい気持ち!いまでも本当によく覚えています。また、他のパーティの上級生の人が、明らかに耳で聞き取っただけの英語をテープとほぼ同じように話しながら演劇する姿をみて、自分も絶対にあんな風に話したい!、と何度思ったことか。。。。子供の頃に感じた強い気持ちというのは、本当によく脳の記憶に残るものなんですね。
私にこんな素敵な体験をさせてくれたラボ・パーティでの活動を振り返って思うのは、言語の習得はまずは楽しくなくてはならないという点。苦痛であってはならないし、勉強することで疲れてしまってもいけないと思うのです。未知の言語は、自分のモチベーションを常に高めてくれるようなわくわくする存在あるべきだと感じています。そして、外国語がわくわくする存在であるためには、その言語を通じて、楽しい経験ができるという感覚を得ることがとても大切だと思うのです。楽しいという気持ちが生まれて、モチベーションが高まれば、その言語を勉強したいという強い気持ちが自然と生まれます。私にとっての「ラボ・パーティ」は、英語をもっともっと話せるようになりたいというモチベーションそのものでした。
今回「ラボ・パーティ」について書こうと思ったのは、英会話のお稽古事のひとつとして「ラボ・パーティ」を考えている私のお友達のためなので、最後にお友達へのメッセージを残しておこうと思います。
個人的には、ラボ・パーティへの入会、すなわち英語の上達とはいえないと思うのです。それどころか、英会話ができるようになるとか、小学校5年生からの英語義務教育化に向けて十分に準備できるとか、ネイティブの話す英語がききとれるようになるなどなど、短期的なスパンで目に見える効果を期待するのであれば、あまりラボ・パーティは適切ではない気がします。ラボ・パーティは、「外国語に対する子供の興味を引きだす」ことができる可能性のある活動といったほうが適切です(注:ここで、あくまでも可能性にとどめるのは、人にはそれぞれ相性があるので、ラボ・パーティの活動がしっくりくる子供もいれば、そうではない子供もいると思うからです。)。外国語に対する興味を喚起することに対して、決して安くないお金を親が投資するか否かは、それぞれの家庭での親の考え方次第かなという気がします。
語学習得には時間がかかります。外国語に限らず、母国語の日本語でさえも、小学校から高校を卒業するまでの12年間にわたって勉強する結果、なんとか「読み・書き」ができるようになるのです。どんな言語であっても、長期に及ぶ本人の継続的な努力なくして、言語の習得はありえません。そうだとすれば、幼少時に、その後長期にわたって、外国語学習に対する自らのモチベーションを維持できるような体験をするのは、個人的にはとても貴重なことだと思います。自らの体験としてすでに前述したことですが、幼少時の強烈に楽しい経験は、大人になってもずっと脳に記憶され続けます。そして、大人になった今でも、小中学生のときに感じた「もっともっと英語を話せるようになりたい!」という気持ちを忘れることはできません。ま、現実には、メキシコで生きていくために必要なスペイン語に時間を割かれて、英語の勉強はかなりおざなりになってしまっていますが~。]]>
2012年セマナサンタ休暇-砂漠博物館@クアウイラ州サルティージョ
http://latraviata.exblog.jp/16294384/
2011-05-07T15:11:00+09:00
2011-05-11T04:38:56+09:00
2011-05-07T15:12:04+09:00
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メキシコでの生活
今年のセマナサンタ休暇(4月21日~24日:アメリカのイースター休暇)こそは、ラロママの住むマンテ(タマウリパス州)に行って、ノンベンダラリと過ごしたいと思っていたのですが、国道の治安状況も、タマウリパス州の治安状況も一向に回復しないため、今回もそれが叶いませんでした。治安悪化の話しを書いたらキリがありませんが、身代金目的の誘拐・強盗がかなり頻発していて、私たちの周囲でも誘拐された例・強盗にあった例がかなりあるので、まさに危険と隣り合わせという感じがします。。。
もとい。今年のセマナサンタは、お友達のえりなちゃん&ルイスと一緒に、クアウイラ州の州都サルティージョにある砂漠博物館(Museo de Desierto)へ出かけてきました。サルティージョは、モンテレイ中心部から西南西方向にクルマで1時間半ぐらい走ったところにある標高1,600mの街。標高が高いということもあって、モンテレイに比べて、涼しくすごしやすい街と言われています。
砂漠博物館は、別名恐竜博物館とも呼ばれていて、砂漠の展示とあわせて、恐竜の展示もあります。あまりぱっとしない建物を想像していましたが、建物は近代的で、とってもキレイ!砂漠の歴史や解説などは、子供たちにも分かりやすいように書かれていて、ボキャブラリーの乏しい私にも最適でした。中ではサボテンの購入もできるようになっていて、家族連れが1日過ごすには十分な場所でした。
サルティージョは、モンテレイから非常に近場にあるにもかかわらず、私はまだ一度も言ったことがありませんでした。モンテレイからは高速道路も整備されていて、サルティージョまでのドライブはかなり快適。サルティージョの中心地には歴史保存区もあるということなので、また近いうちに出かけてみようと思います。
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悠加-2歳5~6ヶ月 Haruka - 2 años y 5/6 meses
http://latraviata.exblog.jp/16294369/
2011-05-07T15:07:00+09:00
2011-05-10T05:31:26+09:00
2011-05-07T15:08:25+09:00
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悠加の成長記録
先月には2歳7ヶ月になったので、5月1日からは幼児B-2へクラス変更。周りの状況が分かるようになり、お気に入りの先生ができるようになった1歳過ぎからは、部屋替えがあるたびに数日間は大泣き。先生たちを、そして私たちをかなり困らせていました。ところが、それも2歳に入ってピッタリとなくなりました。というのも、悠加と同じ2008年10月生まれで、大の大の仲良しのお友達であるミランダ、アメリカ、そしてネネが一緒に部屋替えになるからなのです。彼女たちも赤ちゃんのときから保育園に入っていましたから、今までだって一緒にいたはずなのです。でも、精神的に成長し、お友達と遊ぶことができるようになって、彼女たちの存在が悠加の精神的安定に大きく貢献しているのでしょう。いつまでも純粋無垢な赤ちゃんのままでいてほしいと思う反面、こうやって少しずつ成長していく姿をみると、これからも沢山のお友達とかかわって、どんどん自分の世界を広げていってほしいなと強く思います。
さて、保育園の部屋替えの話しにふれたのは、部屋を変わるたびに、突然できることが増えるからなのです。2歳を過ぎてからは、特に言語面での発達が著しく、6ヶ月先に生まれたお友達と一緒に遊ぶことでさらなる語彙力UPにつながっているのだろうと思います。日本語の話しは、また別の機会に触れようと思いますが、スペイン語はまだ間違いがあるものの、ラロが話す内容はほぼ正確に理解し、言われたことに対して、きちんとした文章で回答しています。私は、スペイン語の自動詞の使い方をマスターするのに結構時間がかかったので、自動詞をいともなく作文できている悠加を見るにつけ、なんだかいちいち感動させられ、ちょっとした嫉妬心?!さえ感じます。
そして、昨日の夜は、ちょっとした出来事がありました。これは日本語教育の話しにもつながるのですが、私が本をポンと階段に放り投げたラロに対して、「ものを投げるな~!!」と文句をいったのです。そーしたら、1人遊びに夢中だった悠加がふと頭をもたげ「Qué pasó mami~??」(どうしたのマミ~?)と聞いてきたのです。私は、「どうしたかって~(怒)?パパが本を階段に投げたの(メラメラ~)。悠加も、本を投げるなって、パパに言って~」と言うと、ラロの方をくるっと振り向いて「No tires libro, papi!!!」(本を投げないで)と言ったのです。その瞬間、ラロと二人で、同時に顔を見合わせました。ラロは日本語はまだよく分かりませんが、私が悠加に対して「パパに本を投げるなと言って」と言ったことは分かったよう。彼女は私の意図するところをきちんと理解し、さらにはパパと話すときにはスペイン語ということを分かったうえで、知っているスペイン語ボキャブラリーの中からもっとも適切だと思われる言葉を探して発語したわけです。悠加のこの発言を聞いて、それまでの怒りをすっかり忘れて、ラロと2人でちょっとした感動にひたったのでした。
ちなみに、「Qué pasó?」(どうしたの)という言葉はなんども私が日本で言いなおしても、頑としてスペイン語のまま。保育園で頻繁に登場すると思われるスペイン語語彙は、日本語で繰り返し言いなおしても、彼女自身の発語としては登場してきません。ま、登場回数、使用頻度に圧倒的な差があるのでしょうから、仕方がありません。こういう言葉はいくつかありますが、逆に日本語で最初に覚えた言葉は、後になって保育園で登場しても、私と話すときには日本語のままです。結構興味深い現象です。それでは、日本語教育の話しは、また別のときにでも。。。
下の写真:ラロの弟、オスカルと。
下の写真:ショーウィンドーに並ぶマネキンのお洋服を着替えさせるショップのお姉さんに釘付け。
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