by latraviatajapan カテゴリ
私たちについて カテゴリーについて メキシコでの生活 メキシコでのマイホーム購入 悠加の成長記録 育児と日本語教育 結婚式・結婚式準備 メキシコでの妊娠・出産 モンテレー観光案内 モンテレーのバス 映画寸評 メキシコ料理レシピ メキシコでの職探し メキシコでの中古車購入 メキシコのビザ情報 タマウリパス州への帰省 日本への帰省 メキシコ国内旅行 メキシコへの引っ越し 日本とメキシコの違い 名古屋での生活 東京での生活 和食レシピ 私たちのお気に入りの音楽 以前の記事
2013年 03月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 08月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
LINK
■ロスカボスで暮らすガルサさんご夫妻のブログ
MX&JP Paradise(日本人奥さまのブログ) (↑スペイン語&日本語) ArcopMedia-Encuentro entre México y Japón(メキシコ人の旦那さまのブログ) (↑スペイン語&日本語) ■ドミニカ共和国&メキシコに住んだ経験を持ち、現在は客員研究員としてメキシコシティに在住しているchamoyさんのHP ■メキシコ人の旦那さまとお子さま2人を持つSuikoさんのブログ (↑スペイン語) <Others> ■小学校からのAmigaが名古屋に開いているセレクトショップ"Pénelopé・paris・pétillante"のHP ■私とラロをすっかりトリコにしたAriaちゃんのブログ ■私が通っていたスペイン語教室@東京 ■exblogをつうじて知り合い、実際にお会いした初めてのお友達・マイキーさんの日々が綴られているブログ ■昔から大好きな中村江里子のHP&ブログ <注意! ¡OJOs!> El copyright del contenido de "México, un descanso por recordar" pertenece a aki&lalo. "México, un descanso por recordar"内のすべてのコンテンツの著作権はaki&laloに帰属しています。 Copyright(C) aki&lalo All Rights Reserved その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ただ、プライバシーが殆どないという環境から、精神的に参ってしまう人もかなりいて、学年末には必ず退寮者がいました。どれだけプライバシーがなかったかという点について部屋のレイアウトで説明すると、部屋に入るドアを開ければすぐその両脇には2段ベットがあり、さらにまたその奥の両脇に各自用の勉強机がありました。両脇のベット間の幅は1.5~2メートルほどで、奥行きは7、8メートルぐらい。ベットには寝台列車のようなカーテンがついていますが、プライバシー確保の手段といえば、そのうすっぺらいカーテンのみ!私はと言えば、プライバシーのなさに苦しむどころか、この小さな部屋がものすごく快適で、寮もかなり気に入っていました。でも現実には退寮者がかなり多く、例えば退寮者が特に多かった私の学年の場合は、入寮時に29名いた人が卒業時には8名にまで減りました。 この寮は、もともと教育・自治寮という位置付けで作られ、ミッションスクールであるがゆえに昔はキリスト教の概念に基づくさまざまな寮内活動が行われていたとも聞いています。私がいた頃には、そのような宗教的な活動は殆どなくなっていましたが、自治寮という意味では十分機能していて、朝・晩のお皿洗いや電話番などの当番制があったほか、主に門限(午後10時半)までの帰宅を厳しく管理する防犯係などの各種委員会も組織されていました。また、インペクと呼ばれる月に1回の全部屋清掃度点検もあって、廊下単位で一番キレイな部屋が表彰されていたりもしました。季節ごとのイベントやホームカミング(←通常は老若男女・親族他人の別にかかわらず、部外者一切立ち入り禁止)もかなりあって、寮での生活そのものが学部時代の大きな思い出になっています。 今思い起こしても、寮を出て一人暮らしを始めたときの寂しさと言ったら、もうそれはそれは計り知れないものでしたから、私にはこの超スーパー密着型の寮生活が本当にあっていたのだと思います。また、団体生活の中で学んだことは非常に多く、一人っ子ですっかり甘やかされて育った私としては、上級生の人たちからの厳しくも温かい叱咤も含めて、本当にいい勉強をさせて頂いた4年間でした。寮での生活がなければ、自分自身では到底知りえなかったこと、学び得なかったことが本当に沢山あります。 ただ、思い出が沢山詰まっているこの寮も、私の卒業から2年後には、建物の老朽化が原因で閉館となってしまったので、今は存在しません。ただ、この寮での生活を通じて知り合い、今でも交流のある友人が2人います。そのうちの1人が、今回の日本帰国の際に恵比寿で再会した有紀で、私が大学`1年生(彼女は当時大学2年生)のときの後期部屋のルームメートでした。そしてもう1人が、同じ部屋にはなったことがなかったももの、同じ学部学科に通っていた知恵でした。 今回の日本帰国では、その知恵と12年ぶりの再会を果たすことができました。彼女に最後に会ったのは、大学卒業翌年に福岡で行われた彼女の結婚式で、当時私たちはともに23歳でした。そのとき以来ずっと会うことができずにいたわけですが、その理由はきわめて単純で、結婚後彼の異動ですぐ大阪に転勤となり、その後はさらなる転勤で福岡へ引越ししてしまっていたのです。その間、私はずっと東京に住んでいましたが、かなり頻繁に出張がありましたので、大阪への出張があったさいに、一度再会を試みたこともありました。ところがその日は、私の仕事がかなり長引いて、彼女と会うことができたのは、どこかの駅のホームで一瞬だけ!彼女にはもう子供がいましたから、大阪出張の際に夜一緒に飲みに行くということもできず、それからは一切会えずじまい。。。そして最近は、旦那さまの次の転勤先がどうやら東京にになりそうなので、私が東京へ遊びに行けば会えねと話しをしていたところで、突然名古屋への転勤が決まったわけです。もうこれは絶対に会わなければならない?!ということで、今回12年ぶりの再会を果たすことになりました。 現在彼女は、3児の母。今回はその3人の子供たちと彼女の旦那さまとともに、東山動物園に出かけてきました。東山動物園は、私にとって思い出の場所。というのも、東山動物園の隣に私が通っていた高校があり、高校3年生の私大受験シーズンに入った頃には授業に来る人もまばらになっていたので、時々友達と授業をぶっちして(って、今でも言うのでしょうか。サボるっていう意味なのですが)、息抜き?!に東山動物園に散歩・おしゃべりに行ったりしていました。なつかしい! 東山動物園も名古屋では桜の名所ですから、その日は満開の桜を見に来た人でいっぱい!それでも、おしゃべりをしつつ、動物たちをみつつ、ゆっくりと散歩を楽しむことができました。子供が3人もいれば、彼らの間で痴話げんかが当然起こるわけで、「亜紀もそうだけれど、私も一人っ子だから、兄弟間の痴話げんかなんて、私には全然わからないんだよねー」とぶつぶつこぼしながら喧嘩の仲裁役を務める彼女が、威圧的でも命令的でもヒステリックでもなく、本当にうまく子供たちの仲裁役になっていて、とても勉強になりました。私たちにはまだ子供が一人しかいませんが、兄弟ができたら、彼女みたいなママになりたいなと強く思います。 その後は、彼女たちの家へ。とってもおいしい串焼きをご馳走になって、少しおしゃべりしたらもうお別れの時間。あっという間に時間が過ぎ去りましたが、本当に貴重な1日でした。しばらくは名古屋ということなので、次回の帰国時にも会えるといいなと思います。
by latraviatajapan
| 2010-11-16 13:21
| 日本への帰省
|
ファン申請 |
||